ジェンダーは変えられる!
ジェンダーとは社会的な性別です
「社会で生活する上での性別によって決まる役割」だと考えたらわかりやすいと思います
例えば
- 男はスーツに革靴に短髪
- 女はスカートにヒールにお化粧ばっちり
というようなものです
- 男は外で働き女は家庭を守る
- 家父長制万歳!
- 女はお茶を入れるべし
- 男は強く泣いてはならない
- 女はおしとやかに笑ってろ
- 早く結婚して家庭をもて
- 子ども子ども子ども!
- 稼いでない男はダサい?
- 女の子はいい男の人つかまえたら安泰だ!
- 女ならば〜
- 男ならば〜
これらは全て時代遅れです
性別のようは区分で分ける道理はありません
性別がなんであろうと社会での振る舞いを選ぶ権利は誰にでもあります
女性らしい、男性らしいと俗に言われるような仕草やふるまい服装のどちらを選んでも問題はないはずだからです
ここで間違えてはいけないのはマナーと他者を傷つけないことです
安全性や利便性を考えることも重要です
可愛い格好がしたいからといっても、足場の悪いところでヒールを履いたり、人に触れる仕事で付け爪をしたりするのは安全上よくありません
当たり前ですが肌の露出を考える必要もあります
山に半袖半ズボンで入らないほうがいいのと同じです
- 男であるが、スカートを履きたい、ヒールを履きたい
- 女だけどスカートは履きたくないし、足が痛いヒールなんてもっての他だ
- 性別なんかに行動を決められたくない
- 男だから、女だからと言われたくない
その気持ちを特別な理由以外で妨げる権利は他人にはありません
もし、ジェンダーが社会生活を苦しめる理由になっているならば、周りの人に相談するか生きている環境を変えて見る努力をしてみましょう
主張のない人たちに対して社会は自主的に察して対応してくれることはほぼありません
当事者でなければわからないからです
自分とは違う人のことを想像し、完全なる対応することは難しいのです
セクシュアリティーは変えられない
- 自身がどんな性別であるか(性自認)
- どのような人を好きになるのか(性指向)
性自認と性的指向といったセクシュアリティーは変えることができません
セクシュアリティーは流動的ではありますが自分や社会が望むように変えることはできません
自分や社会をだますことはできますが、どちらも自分を苦しめる可能性が高いです
染色体による性の判別は変えることができません
染色体の異常などから性別がはっきりしない人もいます
体の性別も変えることはできません
基本的には体の性機能は生まれた時のものでかえることは難しいです
医学や制度の進歩により性別適合手術が受けやすくなりました
体の機能が精神的非常に苦痛なのであれば手術をうけることが有効な方法です
体の性機能を望む性に合わせて変更して望むジェンダーで生きる方法があります
そこまで大変な思いをしてまでも、セクシュアリティーを変えることはできません
異性を好きになり、婚姻という手続きを元にした家族をつくり子どもをもちたくても
同性愛者や無性愛者は異性愛者にはなりません
もちろん自身の気持ちにふたをしたり、人として認め合った相手と家族になるという選択はあります
同性のカップルでも、養子などの方法で子を持つ選択肢があります
国によって結婚や子を持つことができたりもします
一部の性別の人だけが、社会的に守られ、良いとされる家族をもつという人生を選べるのは間違っているはずです
家族をもつという選択肢の一つである要素がまるで義務であるかのように、それを望まない人を苦しめるのは間違っているはずです
全ての人に平等な生活と幸せを
平等な権利を与えるとしたら、それは本当に平等なのだろうか?
弱きものは強い力ですくい上げ
強いものでも適切な補助を受けることができる
個人の望むジェンダーを認め合うことによって仕事の効率が上がり、幸せな人が増えるなら認めるべきだ
セクシュアリティーに悩みをもち、自ら命を落とす人がいるよりも、違いを認め合い、お互いの幸せのためにも存在を保護する社会であるべきだ
出生率が低いならば、今いる子どもたちへのサポートを充実させて優秀な大人になってもらえばいい
子どもをもちたい人の生活が豊かであるための制度をつくるべきだ
未来の子どもに多くを背負わせるよりも、今いる大人たちが人口に依存しない社会システムを構築し完成させるべく行動するべきだ
流行りなどでは決してないということ
いつの時代にもマイノリティとなるものはいる
その自体のマイノリティーのうち多い人たちから順に権利をもちはじめる
これからの時代重要なのは性別による平等であろう
男女は平等であるべきだし、性別なんかにくくられる社会をやめてもいいと思う
ファッション〇〇と呼ばれる人たちがいる
本気で苦しんでいる人たちが多いのに、オシャレや奇抜さを狙って語るのはやめてほしい
一見ファッションに見えても、本人が本気で苦しんでいる場合も多いから、他者が決めつけて発言するのはやめよう
余談-なぞのマナーや古き慣習
ジェンダー問題やセクシュアリティ問題を語るとき必ずと言って話題になるのは
服装や振る舞いだと思います
会議にTシャツ、短パン、サンダルで出席することと画期的なアイデアが出ることや出席者の意見がまとまることは関係あるのでしょうか?
目上の人と会うときにはしっかりとした服装を?
室内では帽子をとって?
寒かったり暑かったり動きにくい制服?
守るべき文化で意味があることと、なんとなくみんなで縛りあうためのルールを区別して考えてみるべきではないですか?
目的は何ですか?
- みんなで仲良く泥船にのって海に沈むことですか?
- 古き良きあいまいな記憶の中で美化された幻想を追い求めることですか?
資本主義のなかでは資本を増やすのがいいことです
- お金をたくさん蓄えてお金のためにいろいろなものを捨ててたくさんのお金の中で死んでいくのが目的ですか?
- 昨日までお金と呼ばれていた紙切れと通帳と呼ばれていたものにある数字だけが残っている未来が来ないことを信じながら生きることが人生ですか?
- たくさんの人からたくさんのお金を効率的に集めるゲームをする人生?
お金がなくても技術と知識と人脈と法律と制度と生きる意志があれば生きていけます
お金を稼ぐために使っているものを生きるために使うのかお金のために使うかの違いだと思いますがどちらを選ぶのも自由のはずです
人の容姿を勝手な基準で何か言うこと
行動や性格の側面や一度の失敗を過度にとりあげること
隣の芝がどんなに青く見えようと実際は茶色いかもしれないし
隣の芝がどんなに青く見えようとも自分の芝がもっと青いかもしれない
青い芝があってもずっと雨なら家から出られないしある日突然茶色くなるかもしれない
何を大切にし、なにを目的にして、何が本当に重要なことなのか
目の前のことを一つ一つ考え直したら簡単に日常が変わるかもしれない