内容は特にありません・・・嘆きです
あえて書き出す必要もない差別に世の中溢れています
ただ生まれて,ただ生きているだけなのに
”生きることを肯定されたいとはいっていない,ただその目の前の存在を存在していると認めてほしいだけなのだ”
そういうことですよね?
この期に及んで,既存権益が脅かされるとか,特殊な癖だとか
いい加減にして欲しいけどこの声は届かない
我が身を粉にして,(おそらく)あたりまえの生活をしているだけなのにビクビクと恐怖を感じて生きている当事者たちがこれ以上傷つくのを覚悟で戦わないと行けないのか
存在を認めないと言うならば消えればいいのか,消えたら消えたで数字の増加で騒ぐのは誰か?
自称”アライ”は当事者への憐憫に浸っていないか?
アライのくせに,当事者を商品と転換し消費する作品を好んで崇めてはいないか?
和気あいあいと
「あの作品は良かったですね!」
「この作品にもでていました!」
そんな会話があったところで 基本的人権が認められていないのならば消費されているだけではないか?
少子化が,トイレが,犯罪が・・・
少し調べればわかる問題を深刻にするのはやめてほしい
声の大きいマジョリティーにとって顔も名前も存在も知らない(彼らのなかで)めちゃくちゃ少数の一部の(彼らいわく病的で,特殊な性癖の)人々が幸せになるのがわからない
なぜなのだろうか?
同じ惑星に同じ時代に生まれ,良くも悪くも自動的に生まれた環境による子ども時代を過ごす.寝て起きて働き勉強して,税金を払って人と関わり助けて助けられて生きているだけ
誰かが誰かの生活に制限をかけるなんてどうして可能なのだろうか?
ただ,権利を認められた”側”に生まれただけなのに
ただ,権利を認められていない”側”に生まれてしまった
ただ権利があるだけに生まれただけだから最大限権利を行使します!!
そんなのんきな人生を歩んでみたかったが,吐き気がする
たくさんの人の屍を踏みながら
権利を認められていない人の税金によって作られたかも知らない制度に乗っかる?
ありえない
みんながみんな幸せになる道を探せばいいのに
与党支持者は差別主義者だということが明らかになりました
一部の人を虐げることで成り立つ社会は過去のものではなかった
これからも虐げられる人々へ
とりあえず生きていきましょう
生きてさえいればなんて甘い考えはありません
泥水をすすって生きていきましょう
権利がある人が
ひいひい言いながら
大変大変なきごとを言いながら
生きています
それを横目にみながら幸せになってやりましょう
世界は広いので
日本でお金を稼いで海外にいきましょう
コロナはそういった希望さえ奪っていきましたが
”Japan”という国へたったの少しも,希望をもつ必要がないことがわかりました
感染には最大限,気をつけてください
なによりも生きることを大事にしましょう
アライへ
感染で血縁関係でも会えない現状に悲しみの声が溢れていますが,当事者はどんな病気でも会えないことを想像できている人はいるのでしょうか・・・
自己満足のアライはアライではないと思います
何をもってアライをなのるのかわかりませんが・・・
今の時代も権利獲得にはずっと戦っていた当事者が戦う必要がありますか?
普段は差別されない”側”に生まれた人が同じ側の人間を説得することが難しいですか?
日本は同調圧力が強いようです
ぜひ,差別されない側の同調圧力を差別しない雰囲気に変えていただきたい
軽く考えている間に,行動をためらっている間に,疲れ果てた命が尽きてしまうのです
個々の命が大切ではない,というのならば安楽死,死の権利を認める必要があると思います
極論ですか?
権利も存在も認めないけど,自力で生きてね?特にサポートもないよ?
邪魔だから時々公に悪口を言うけど生きてね?
現状を端的に表すこれらのイメージのほうがよっぽど冷酷ではないですか?
無関心な人へ
無関心な人は自分が危機にならないと関心を持たないくせに自分が困ると声たかだかに騒ぎますね?
違うという人は当事者の気持ちがわかると思います
それだけです
声たかだかに権利を叫び傷つきながらも認められる”側”に生まれることが人生運ということなのかもしれません
最終的な目標は全ての人が納得できる社会
合理的な,という無機質な言葉で伝わるといいのですが
好きな人と自由な家族設計をして,生きていく
身体的に不可能なことはしないでサポートしてもらいながら,得意なことで社会に還元する
生き物は生まれて死ぬまで環境や社会に与えられ,還元する
子孫を残すのもよし,周りを助けるのもよし,
もっと自由で単純な構造ではないのかと思うのです
みなさんとりあえず今日もがんばりましたね,明日もとりあえず生きていきましょう!